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物事を伝えることで世の中の人のためになるよう、力を尽くす 

物事を伝えることで世の中の人のためになるよう、力を尽くします


 同じジャーナリズム現場にいる者として、心にしみる言葉です。

 記者2人が殺傷された1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件から、3日で丸20年を迎えました。犠牲となった小尻知博記者=当時29=を追悼する拝礼所が設けられた同支局には600人を超す人々が訪れて手を合わせたほか、広島県の小尻記者の実家では法要が営まれ、冥福を祈ったそうです。

 冒頭の言葉は小尻記者の遺児、当時二歳だった美樹さんのものです。

 彼女は今春、大阪のテレビ局へ入社。20周忌にあたり、「2つの伝達手段は違いますが、『物事を伝えることで世の中の人のためになるよう、力を尽くす』という根源は同じだと思っています」と語っています。


 ジャーナリストのDNAは受け継がれました。
 美樹さんのこれからの健闘を祈ります。






 朝日阪神支局襲撃20年 長女「放送局入社しました、世の中に物事伝えます」 5月4日8時0分配信 産経新聞

 広島県呉市川尻町の小尻記者の実家ではこの日、妻の裕子さん(47)と一人娘の美樹さん(22)のほか、朝日新聞社の秋山耿太郎社長ら約40人が参列して法要が営まれ、小尻記者の遺影が飾られた仏前で静かに手を合わせた。

 事件当時、2歳だった美樹さんは今春、大阪のテレビ局に入社した。父の20回目の命日を前に、「楽しい学生生活をさせてくれたお礼と、放送局に入社したことを報告し、手を合わせて静かに話しかけてみようと思います」と心境を明らかにしていた。

 「私は新聞とは違う、テレビという媒体を選びました。2つの伝達手段は違いますが、『物事を伝えることで世の中の人のためになるよう、力を尽くす』という根源は同じだと思っています」

 事件については「父の無念がどういうものだったのか分からない。むしろ私は単に父と話しがしたい、会ってみたい、そういう思いの方が強い」ともコメントを明らかにした。
 妻の裕子さんは、「少しは事件を振り返る余裕ができた気がする」と、20年前の事件を振り返っているという。

 昨年、新築された阪神支局(兵庫県西宮市)内に設けられた事件の資料室を見学した。「記者として頑張っていた主人のことを、心にとどめておいてほしい」と願っているという。

 この20年間について、小尻さんの父親の信克さん(79)は「悔しい思いの集積です。この気持ちは何十年たっても変わらない」と話した。「体も弱ってきて車で通うようになった」と言いながらも、墓参は毎日欠かさないという。

 3日も法要前に、母親のみよ子さん(76)も含めた4人で墓へ参り、静かに手を合わせた。

 母親にとってのこの20年間はどのようなものだったのか。みよ子さんはコメントの代わりとして、息子・知博さんへの思いを題材にした俳句を報道機関に寄せた。



 雉一声 哀惜の念二十年

 ものの芽や 面影偲(しの)ぶ二十年




hiroshima





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